終わらないお泊まり保育
2003年の夏、ハンナと凛太郎が私たちの家にやってきた。
玄関をくぐったその瞬間から、我が家にはある種の「演出」が施されていた。
重苦しい空気などない。私たち夫婦は、彼らをあたかも「夏休みのお泊まり保育」に来た親戚の子として迎え入れた。
義母も同居し、大人3人と子供3人の共同生活は、表面的には賑やかで、どこか浮ついた非日常の祝祭のように見えたかもしれない。
しかし、その「明るさ」は、子供たちが背負わされた「親子分離」という決定的なトラウマを直視しないための、私たち大人の防衛策でもあった。
彼らには帰る場所がない。
この「お泊まり」には期限がない。
その事実を突きつければ、彼らは壊れてしまうかもしれない。
だから私たちは、明るく振る舞い続けるしかなかった。
それは情緒的な優しさというより、子供たちの精神状態を安定させ、生活を破綻させないための実務的な判断だった。
瓶の蓋を開ける向こう側
瓶の蓋
私が二人の子ども、ハンナと凛太郎を引き受けることになったのは、深遠な決意があったからではない。 義母が、固く締まった瓶の蓋を開けられずに困っている。
それを見た私が、「どれ、貸して?」と言って瓶を受け取った。
その程度の、反射的な手の差し伸べだった。
私の実家は街中華とバーを営む自営業で、私の根底には「現場で起きていることに素早く対応し、行動に移す」というダイナミックな現実主義があったと思う。
対して、妻の実家は職人を抱える会社の社長宅であり、そこには質素ながらも堅実な規律があった。
この文化の差が、危機に際して「私が動けば解決できる」という、ある種の全能感に近い「なりゆき」の自信を私に持たせていたのかもしれない。
捨てられない瓶
しかし、その瓶の蓋は想像を絶するほど固かった。
「可哀想」という感情の蜜で固まり、誰の手にも負えなくなった蓋を、私一人の力で回し切ることは困難を極めた。
私はこの蓋を開けるための道具を求めて、行政、医療、児童相談所に助けを求めたが、社会のどこを探しても、この瓶を開けるための道具は用意されていなかった。
「自分で頑張ってください」 その言葉とともに、私は瓶を抱えたまま、社会の列から放り出された。
もしこれが本物の瓶であれば、開かないことを諦めてゴミ箱に捨てることもできただろう。だが、この瓶の中身は生身の人間だ。一度受け取った以上、放り出すことは許されない。
私は指がうっ血するほど力を込めて瓶を握りしめ、一人で蓋を回し続けるしかなくなった。
誤算の予感
私は自分の「ネットワーク的な社会観」や「臨機応変な養育感」があれば、この事態を切り抜けられると信じていた。 だが、中途養育という荒野において、その場しのぎの対応が全く通用しないことを思い知らされることになるなど、この時の私はまだ、考えもしなかった。
「無垢」ではない子供たち
周囲は「子供たちが笑っていてよかった」と言った。 人間には、物事を単純で整合性の取れた形に解釈しようとする認知バイアス(プレグナンツの法則)がある。
「笑顔=安心」という解釈はその典型だ。
しかし、アタッチメント(愛着)が形成されていない段階での笑顔は、信頼の証ではなく、環境に適応するための処世術である場合が多い。
実際、彼らは「無垢」ではなかった。 自分たちより年下である私の娘に対し、彼らは頻繁にマウントを取り、意地悪をした。
娘が泣かされる事態は日常的に発生した。
彼らは自身の境遇へのストレスを、より弱い立場の者へ向けることで解消していた。彼らの行動には明確な悪意や、大人を試すような反抗が含まれていた。それらに対処することは、技術以前に、物理的な忍耐と体力の消耗を意味した。
私たちには「育児疲れ」を訴える場所がなかった。
実親でも、登録された里親でもない親族には、公的な支援を受ける資格が存在しなかった。