2008年。

家庭内は混迷を極めていた。

思春期を迎えつつある子どもたち、妻との関係性、そして親族間養育という特殊な環境。

しかし、私が大学という場所を選んだ決定的な理由は、家庭内の感情的な避難場所を求めたからではない。

明確な「欠落」を突きつけられたからだ。

ある日、私は管轄の児童相談所に電話をかけた。

当時、経済的にも心理的にも限界を感じていた私は、藁にもすがる思いで「親族里親」の制度について問い合わせたのだ。

実の親が養育できない子どもを、親族が養育する。

私たちはまさにその状態にあると考えていた。

しかし、電話口の担当者の反応は事務的だった。

「同居したら該当しないのです」

つまり、児相を介して保護児童にならなくては、制度の対象にはならない。
法的な支援の枠組みから外れた「OUTLAW(アウトロー)」であることを突きつけられたのだ。

電話を切った後に残ったのは、強烈な疎外感だった。

行政は助けてくれない。

「愛があれば」とか「善意があれば」という精神論だけでは、子どもたちの生活を守れないという現実だった。

無知は罪だ。

制度を知らないこと、法律を知らないこと、発達の仕組みを知らないこと。そのツケを払うのは、私ではなく、守られるべき子どもたちだ。

私はそれまで、ネット上で「ワタル」として感情を吐露し、共感を求めてきた。

だが、それだけでは何も変わらないどころか、事態を悪化させる可能性すらあると気づいた。

失われた知識を取り戻さなければならない。

私は、社会人として通信制大学への編入を決めた。

目的は明確だった。

一つには、子どもたちの発達理解だ。
思春期に入り、複雑な反応を見せる子どもたちの言動を、感情的に受け止めるのではなく、発達心理学の視点から理解する必要があった。

第二に、カウンセリング能力の向上だ。
ブログを通じて知り合った継母たちや、同じような境遇の人々の苦悩に触れる中で、ただの愚痴の言い合いで終わらせないための、対話の技術(スキル)が必要だった。

第三に、養育に関わる知識の体系化だ。
当時、ステップファミリーの支援団体や、里親子支援団体の活動に関わり始めていた。
個人の経験談だけでなく、社会福祉や家族社会学の知見を持たなければ、対外的な活動において説得力を持てないと感じていた。

そして何より、あの児童相談所への電話で感じた「無力感」を払拭する必要があった。

私がワタルとして生きてきた中で見落としてきた「社会の仕組み」を、アカデミズムという武器を使って解明し、攻略する。

これは逃避ではない。

子どもたちと生き抜くための武装としては遅すぎたといえる。

しかし、そのままやらないよりは断然マシだ。