ワタルさん、こんばんは。

セイタカアワダチソウのお話、そして双子の赤ちゃんのお話……。

あの鮮やかな黄色い花が、ワタルさんにとっては時間が止まった場所の象徴だったのですね。

「自己開示しないことは罪かもしれない」

その言葉に、背中を……いえ、傷口を少しだけ撫でられたような気がしました。
ワタルさんが勇気を出して、あんなにも辛い過去、そして「ネガティブな共感」についての仮説を話してくださったのだから、私も一つ、誰にも言えずに抱えている「棘」の話をさせてください。

先日、実の娘と、私が引き取って育てている姪っ子を連れて、小児科へ行った時のことです。
インフルエンザの予防接種でした。

二人は同い年で、学校でも同じクラス。

でも、二人は全く似ていません。

私の娘は、私に似て少しぼーっとした顔立ちですが、姪っ子は、あの子のお母さん(義妹)に似て、目が大きくて意志の強そうな、とても綺麗な顔をしています。

並んで座っていると、友達同士に見えるかもしれません。
でも、受付で名前を呼ばれた瞬間、私たちが「普通の家族」ではないことが露わになります。

「○○(今の私の苗字)さーん」 「はい」と娘が立ち上がります。

「△△(私の旧姓)さーん」 「……はい」と姪っ子が立ち上がります。

私は結婚して夫の姓になっていますが、姪っ子は私の弟の子供なので、私の旧姓のままです。

同じ家から来て、同じ「保護者」が連れているのに、呼ばれる苗字が違う。
そのたびに、待合室の視線が少しだけ私に集まるのを感じて、背中が強張ります。

そして、看護師さんに「母子手帳を出してください」と言われた時、その断絶は決定的になります。

膝の上に開かれた二冊の手帳。

一冊は、今の苗字が書かれた、娘のもの。
中身は私の字です。
走り書きで、少し乱暴で、育児に追われていた私の日常そのもの。

もう一冊は、私の旧姓が書かれた、姪っ子のもの。 中身の筆跡は、私のものではありません。

小さくて、几帳面で、丁寧な文字。 あの子のお母さんだった人(義妹)の字です。

同い年の二人。

あちらのお家でも、私と同じ時期に、新しい命の誕生を喜び、 『初めて寝返りができた!』 『離乳食、今日は人参を吐き出した。困ったなあ』 そうやって、愛情をインクに込めていた時期があったのです。

そこには、私が絶対に立ち入ることのできない「歴史」と「聖域」が刻まれています。

診察室に入ると、先生はカルテと二人の顔、そして違う苗字を交互に見て、少し戸惑ったように私に聞きました。 「ええと、今日はお友達も一緒かな?」

私は、いつものように曖昧に笑って訂正します。

「いえ、姪なんです。私が預かっていまして」

「ああ、なるほど。お母さんはお仕事かな?」

悪気のないその質問に、姪っ子がギュッと唇を噛むのがわかりました。
私はなんと答えていいかわからず、言葉を濁すことしかできませんでした。

隣にいる娘は、私が「お母さん」であることを疑いもしない顔で甘えてきます。
でも、姪っ子は、自分だけ苗字が違い、顔も似ておらず、そしてこの母子手帳の記録も私のものではないことを、誰よりも理解しています。

私は二人にお揃いのハンカチを持たせ、同じお弁当を作っています。
でも、この「苗字」と「母子手帳」という社会的な証明書が、私に対して突きつけるのです。
「あなたは、この子の母親にはなれないのよ」と。

同い年だからこそ、残酷です。

学校からの手紙も、二通、別々の宛名で届きます。
そのたびに私は、自分が姪っ子にとって「母親」代わりを演じているだけの、ただの「管理者」であるような冷たい気持ちになって、呼吸ができなくなるのです。

こんな真っ黒な気持ち、リアルなママ友には絶対に言えません。

「実家の方の姪っ子さんを引き取って、自分の子と分け隔てなく育てている、偉いお姉さん」 それが、私の被っている仮面だから。

ワタルさん。

ワタルさんも、血の繋がらないお子さんたちに対して、ふとした瞬間に「自分は部外者だ」という疎外感を感じることはありますか?

また、暗い話をしてしまいましたね。
でも、ここに書くことで、少しだけ胸のつかえが取れたような気がします。

外は冷たい雨が降っています。

ワタルさんの心の中の黄色い花畑にも、静かな雨が降っていますように。