東日本大震災

2011年の東日本大震災は、私が大学の体育館で救命講習を受けている時に起きた。

この未曽有の災害は、多くの「家族を失った子どもたち」を生み出し、それは皮肉にも、それまで光の当たることのなかった「親族里親」という制度の見直しを促すきっかけとなった。

非常時が、制度の変革を呼んだ。

大学を卒業した2013年から、私は「学び」と「実践」を行き来するようになった。 生活のためではなく、「支援とは何か」を自分の身体で確かめるためだ。

そのために、いくつかの「パスポート」も手に入れた。臨床心理士は大学院へ行かないと取れなかったが、単位を積み上げ「認定心理士」を、そして後に「保育士」の資格を取得した。

就職のための資格取得ではなかったが、それらを携え、NPO活動支援センターや区民参画のイベントに頻繁に足を運び、子育てホームサポーター、ファミサポ、スクールアシスタント、長期不登校支援など、様々な現場に身を置いた。

2014年の秋に、被災地である岩手県を訪ねた。 現地の親族里親の会の前で、私の経験を話す機会を得たのだ。 会場に集まっていたのは、義母と同世代か、それ以上の年配の方々が多かった。

私の話は、被災者にはあまり響かなかった。 「うちには犯罪者はいないから」 そう言われた言葉が、今も印象に残っている。突然の不幸は、家族内に悪者を作る必要がないのだと、改めて思った。

複雑な家庭の問題は「特別な家のこと」であり、自分たちとは無縁だという壁を感じた。

しかし、講演の後に一人の女性が声をかけてくれた。 彼女は震災後、支援を求めて他県から岩手へ移り住んだという。支援の所轄をまたぐことで、制度の狭間から逃れてきた人たち。

その存在を初めて知り、被災地を勇気づけに行ったはずの私が、逆に勇気づけられることになった。

ゆる育児

この頃、中途養育者としての講演活動の中で、児童虐待防止推進月間の広域協働プロジェクト「ゆる育児キャンペーン」に参加することになった。

私は地域の参画団体として、1dayイベントを企画し、子ども家庭支援センター、教育委員会の後援を得て、地域の様々な団体に声をかけた。

頑張りすぎない子育てを推奨し、親を追い詰めない社会を作ろうというキャンペーンだ。

実行委員会の運営者の多くは、子育て真っ最中の方々で、純粋に「児童虐待を無くしたい」という思いで参加されていたと思っている。 しかし、ここでも私は「温度差」を感じていた。運営者の殆どの人が、「親ならやるべき」という、ティピカル(典型的)なステレオタイプがあった。

私は、中途養育者が「虐待のリスク要因」としてしか支援に関われないのなら、それでも良いと腹を括っていた。

ここにも、「良い子悪い子普通の子」が存在する。萩本欽一の人気番組の影響か。中途養育者は親ではないので、その比較に参加することは出来ない。

虐待以前のリスク構造を伝えることで、「べき論」を壊すことが私の役割だと考えた。

ゆる育児の活動を通じて、私は「ゆる育カフェ」を始めた。

中途養育者の困りごとを語り合い、支援の形を一緒に考える会。毎月第2金曜に開き、今も細々と続けている。

また、「がきんちょファミリー」の大山光子さんが取り組んでいた「こどもど真ん中プロジェクト」にも参加させていただいた。これが後に、「あだち子ども支援ネット」へと繋がっていく。 地域の子育て支援を精力的にこなす方、発達関連で行政と戦ってきた方。様々な活動家と出会い、私は「支援を受ける側」から「支援をつくる側」へと踏み出していった。

制度と現実の間にある空白。 そこを埋めるための「正しさ」を、私は必死に形にしようとしていた。