集客ツールとして始まったブログ
私が「楽天ブログ」のアカウントを取得したのは2005年のことだった。
当初の目的は、自営業の宣伝だった。
当時、ブログは新しい集客ツールとして注目されていた。
私も仕事をリストラされて自営業を始めた下りから始まって、仕事の進捗や趣味の話、そして時折、預かっている子供の話題を綴ることで、親しみやすい店主のイメージを作ろうと考えていた。
ハンドルネームは「hodaka@」。
このニックネームはデザイン専門学校の同級生のエロ漫画家のペンネームから考えたものではあるが、日々のブログに綴ったものは、なりゆきで主夫になって、仕事も家庭も大切にする、常識的で穏やかな「伯父さん」のキャラクター設定だった。
しかし、現実の生活は、その穏やかな日記とは乖離していた。
私には、事情があって関わらざるを得ない子供がいた。私から見て姪と甥にあたるその子たちは、一見すると普通に見えるが、どこか決定的な部分でコミュニケーションが成立しなかった。
感情が通わない眼差し。
奇妙なこだわり。
そして、時折見せる理解不能な行動。
私はその違和感の正体を知ろうと、知人たちに働きかけたが、反応は鈍かった。
「こどもなんてそんなもの」「考えすぎ」。
「定型」というフィルターがかかった人の目には、私の違和感が見えていないようだった。実は、私も子どもたちを引き取る前は、彼らと全く同じ反応をしていたので、見えないのは仕方がないかもしれない。
しかし、見えてしまった以上、誰もが理解出来ない境地で孤立することになる。
親ではない私には、最終的な決定権がない。
けれど、目の前で歪んでいく子供を見過ごすこともできない。
その焦燥感は、日に日に私の中に澱のように溜まっていった。
私は答えを求めてネットの海を彷徨っていた。
姪や甥、の不可解な行動をキーワード化し、検索を繰り返していた。
発達障害、自閉症、アスペルガー、ADHD・・・
専門的なサイトや親たちのブログを読み漁る中で、ふと目に留まったのが「愛着障害」というキーワードの関連で「継母(ままはは)」達のブログ群だった。
検索でたどり着いた継母たちの記録
そこには、私が求めていた「答え」ではなく、同じ「問い」があった。 彼女たちの多くは、夫の連れ子という「他人の子」と向き合い、その不可解な行動に悩んでいた。『一生懸命食事を作っても、無表情で残される』 『夫や義両親に相談しても、違和感に気づないため、取り合ってもらえない』 『優しくしたいのに、生理的な違和感が先に立つ』
立場こそ違えど、そこに書かれている苦悩は、私の現状そのものだった。
「親」という絶対的な立場に守られた育児ブログにはない、切実な「部外者の痛み」。
血がつながらないからこそ見えてしまう子供の歪みと、それを指摘することで周囲から「冷たい人間」とみなされる理不尽さ。
彼女たちは、私が言葉にできずに飲み込んでいた感情を、恐ろしいほど正確に言語化していた。
私は男性であり、親ですらない「伯父」という立場だったが、本当の意味で共感できたのは、地元の友人でも親族でもなく、顔も知らない継母たちだった。
変質していく日記
読むだけでは収まらなくなった私は、彼女たちのブログにコメントを残すようになった。
最初は遠慮がちだったが、返ってくる反応は意外なほど温かかった。男性であり、少し離れた立場から子供を見ている私の視点は、彼女たちにとっても新鮮であり、また「自分たちは間違っていない」という証明にもなったようだ。
次第に、私のブログから「宣伝」の色が消えていった。
当たり障りのない日常報告は影を潜め、代わりに増えていったのは、子供との摩擦や、それに対する自分なりの考察、そして行き場のない感情の記録だった。
自営業の店主という表の顔は後退し、ステップファミリーや発達課題を抱える子供と向き合う「hodaka@」という人格が、ネットの中で確固たる輪郭を持ち始めてしまった。
私はもう、集客のことは二の次になっていた。
この場所で、同じ境遇の仲間たちと「きれいごとではない現実」を共有することだけが、日々の救いになっていた。
監視塔の影 ――「楽天継母オチスレ」の存在
しかし、私たちが安息の地だと錯覚したその場所には、常に別の角度からの視線が注がれていた。 巨大掲示板「2ちゃんねる」の、**「楽天継母オチスレ」**の存在だ。
それは、パノプティコン(全展望監視システム刑務所)のような恐怖だった。
彼女たちが、家庭内での行き場のない苦しみをブログに吐露する。
すると数分後、あるいは数時間後には、その日記のURLが2ちゃんねるに貼り付けられ、解剖され、嘲笑の的になる。
『まさしくDQN』『今日の飯、これだけ?』『これって虐待じゃんwww』 『この継母、被害者ぶってるけど、性格悪すぎ』 『連れ子がかわいそう。こんな家に引き取られて』などなど・・・
誰が投稿しているのかはわからないが、おそらく住人たちの多くは、嘲笑することがトレンドだと思っていたのではないだろうか。
いずれにせよ、投稿者の正義感は「血縁」と「定型発達」に基づいていたと思われた。
投稿者はその「かわいそうな連れ子」が、財布から金を抜き取り、嘘を重ね、彼女の精神を限界まで追い詰めている事実を知っているが、それでも、「わかっていて結婚した」時点で、同情に値しないと思っているかのようだった。
児相に相談して一時保護されるに至れば「子どもを施設送りにして父親を奪った鬼」と批判する。
ブログに書かれた「あなたは私の子じゃないのよ」という呟きを悪魔の証明書として、魔女狩りをするかのように、継母ブログのアカウントを晒し、公開処刑を企んでいるかのようだった。
特に標的にされていたのは、感情の振れ幅が大きく、独特の文体で苦悩を綴っていた数名のブロガーたちだった。彼女たちの悲鳴は、掲示板という見世物小屋では格好のエンターテインメントとして消費されていた。そしてさらに期待に応えるかのように日常の非日常を描き出していた。
「私の日記が2chで話題になっているみたいなんですけど・・・」あるとき、友達登録している継母さんから直メールが来た。
私は、自分のブログのアクセス解析を見ながら、背筋が寒くなるのを感じた。
幸運にも、私自身は晒されていなかった、あるいは、晒られたことに気づかなかった程度だったが、逃げの防衛策として、真面目な苦悩の書き込みをやめて、自虐的なエンタメ路線キャラに変更していった。
アドボカシーは既に嘘をつき始めていた。
時の変化とともに、ブログは変化して、SNSは会員制のmixiに変わり、さらに、楽天ブログの友達だった、千影さんが主催する完全クローズドの「継母倶楽部」に誘われる。
そして、私は個人事業で楽天に出店する関係で、個人的試行のブログを打ち切ることになる。