2012年11月。

大学と子ども家庭支援センターが共催するシンポジウム。

私は、少し緊張しながらも、落ち着いた気持ちで演台に立った。

スクリーンに映し出したのは、私の経歴だ。
幼稚園での場面緘黙、小学校での喘息認定、両親の離婚、中学校での不登校 。
そして、渋谷での露天商や、浅草での靴職人という職歴 。

いわゆる「専門家」の経歴とは違う、少し変わった履歴書を最初に見せることで、私は自分がここにいる理由を示そうとした。
私は教科書の中の住人ではなく、生活の場から来た人間だ。

「まず、私の家族の歴史についてお話しします」

スライドを切り替える。
そこには「ジェノグラム(家族図)」と題された図が表示されている 。
丸や四角、そしてそれらを結ぶ線で描かれた、我が家の歴史。

  • 1993年:妻が双子を早産で亡くす。同じ頃、妻の弟が離婚し、親権は相手方へ 。
  • 1995年:義弟の再婚相手が育児放棄。義母と妻が面倒を見ることに 。
  • 2003年:義母と長男夫婦が養育に限界を感じ、私たち夫婦が甥と姪を引き取る 。

口で説明すると感情が溢れてしまいそうな出来事も、こうして図や年表に整理すると、不思議と冷静に眺めることができた。
「かわいそうな話」として消費してもらうためではない。
これが、私たち家族が直面している「構造」なのだと、自分自身に言い聞かせるような作業だった。

次に、世間のイメージと現実のギャップについて話を進めた。

「皆さんは、中途養育と聞いて何を思い浮かべますか?」

スライドの左側には、映画『うさぎドロップ』のポスター 。
「世界は愛で溢れてる」というキャッチコピーが踊る、心温まる物語。
対して右側には、中途養育者による痛ましい事件のニュース記事 。
「しつけのためにやった」と語る容疑者の言葉 。

メディアが描く「理想」と、ニュースが伝える「現実」。

私たちは常に、この極端な二つのイメージの間で揺れ動いている。

「普通の中途養育者はいないのでしょうか?」 私は会場に問いかけた。

そして、アンケート調査の結果を示す。
「血の繋がり」「子ども自身」「心理」「社会的サポート」 。
グラフに表れた数値は、私一人が抱えていた悩みではなく、多くの当事者が共有している課題であることを示していた。

発表の最後、私はこのシンポジウムで一番伝えたかった問いをスクリーンに映した。

【中途から養育を交替した者は、こどもが望んでいなくても、自分に向け愛着をつけさせるべきなのか?】

「多くの子どもが、愛着形成者を失う経験をしています 。そんな子どもたちに対して、私たちが『新しい親』として愛着を求めることは、本当に正しいことなのでしょうか」

会場は静かだった。

それは、重苦しい沈黙というよりは、皆がそれぞれの胸にある「家族」や「親子」の形について、静かに思いを巡らせているような空気だった。

発表を終え、演台を降りる。

達成感というよりは、肩の荷が下りたような感覚だった。

自分の人生の混沌とした部分を、論理という枠組みで整理し、外に出すことができた。 それは私にとって、一つの区切りであり、自分を守るための鎧をまとう儀式のようなものだった。

質疑応答の時間、ある参加者が手を挙げた。 「……今までは、とにかく愛情を注ぐことが正解だと思っていました。でも、それだけが答えではないと気づかされました」

その言葉を聞いて、私は小さく頷いた。

「正しさ」を押し付けるのではなく、ただ、地図を広げて見せること。

それが、これからの私の役割なのかもしれないと感じた瞬間だった。