密室の構築
当時、楽天ブログは「荒れて」いた。
コメント欄にはスパムが溢れはじめ、「通りすがりさん」による誹謗中傷が横行していた。多くのブロガーはコメント欄でのコミュニケーションを控えるようになっていった。
匿名であるから、少しでも目立つ記述があれば、匿名掲示板「2ちゃんねる」の監視対象となり、冷笑的な「ヲチ(観察)」の晒し者にされたのだ。
継母といった「標準から外れた家族」は、格好の標的とされていた。
私は、「血のつながらない子どもを育てる養育者」という、多くの継母と同様の立ち位置にいながらも、その養育の困難を表に出すことを恐れた。
それはブログという、不特定多数の読者の視線に晒されることに対する恐れでもあった。
また 同時に、多様化する家族形態の中で、表向きには「主夫」という立ち位置の仮面を私は被り続けていた。これは私自身が、なりゆきで自営業者になったため、家事や育児にも関わることになった、ということなのだが、ネットの世界で同様に主夫をしている人たちの目指すアドボカシー(自分たちの社会的な権利主張を代弁すること)には、少し違和感を感じていた。 時代的にはまだ「育メン」は登場していなかったが、そのムーブメントの兆しはあった。
ブログ友達の一人が、mixiという招待性のSNSサービスに招待してくれた。この仕組みは匿名性と実際の知人が入り混じる、なんとも居心地の悪い空間となった。その中で私は家族に被害が及ばない程度の「差しさわりのないキャラクター設定(エロおやじキャラ)」を演じる事で、表の「育メン」ブログの弁証をするようになった。
私自身が「育メン」を名乗るには、中途からの育児、発達課題のある子の育児をする男親という立ち位置は一般の方にむけてはロジックが多すぎて、ややこし過ぎる。その子育てが自慢できる次元ではないのだから、2チャンネルでよく書かれていた「DQN」認定になってしまう恐れもあった。
私が書いているブログは一歩間違えば「積み木くずし」のようになると考えるようになった。それを避けるために、常に自虐キャラで笑いをとる方向性を貫いた。とはいえ、実際の子育ての現場は待ってはくれない。子どもたちの日々の問題は、先送りには出来ない。
既になんのために日記を書いているのかもわからなくなっていた。
私はどこかに、誰の目も気にせず、泥のような本音を吐き出せる場所が欲しかった。
共鳴する鏡
2006年。
私は「ゲシュタルトの祈り」というタイトルの新しいブログを開設した。 そこは検索にも引っかからず、私がURLを教えた人間しかアクセスできない、完全な密室だった。 私はそこに、海未(umi)という女性を招き入れた。
彼女を選んだ理由は明確だった。
彼女もまた、実の弟の子供を引き取り、育てていた。
それは私の妻と全く同じ境遇であり、私自身が直面している「親族による中途養育」という特殊な環境を、説明抜きで共有できる唯一の人間だった。
実験と誤謬
このブログのトップには、フレデリック・パールズの「ゲシュタルトの祈り」を掲げていた。
私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。 私はあなたの期待に応えるためにこの世にいるわけではない。
これは、私が私自身に課した「安全装置」だった。 互いに依存しすぎないこと。相手に救いを求めないこと。 私はこの関係を、ある種の冷徹な「実験」として捉えていた。「顔も知らない人間同士が、ネットという虚構の中で、どこまで深い信頼関係(あるいは疑似的な恋愛感情)を構築できるのか」。
しかし、彼女と私の距離は、この閉鎖的な空間の中で唯一の「呼吸できる場所」として、お互いに縋るようになっていった。 私の掲げた「祈り(境界線の宣言)」は、皮肉なことに、二人だけの秘密の掟として機能し、結びつきを神聖化させてしまったのだ。
私は実験のつもりで、彼女という鏡を覗き込んでいた。 だが、鏡の向こうにいる彼女は、生身の人間として、私という幻影に命綱を預けていたのだ。その認識のズレが、やがて破綻を招くことは明白だった。
